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 Cosmo speed Factoryは、EVな専門ショップです。

Let's do motorsport

AE86 Levin & Trueno  こだわりの ハチロク



<注意> 古い情報なので確認不明など多数有り
時折加筆、修正しています。悪しからず
沿革
 
スタート直後の1コーナー TOPで侵入 (富士スピードウエイ 1987年)


コスモスピード は、
  AE86新車発売当初の1983年から30余年に亘り携わる
  老舗ショップです。
◆伝説の始まり 1983年 4月
 郷ヒロミのCMで華々しくAE86の新車発表、
 とほぼ同時に新車の取扱いを始める。
◆出会い 1984〜85年
 富士フレッシュマンレース(KP61)に参戦の際、
 パドック内に並んだ86レースカー群を見つけた。
 その中に土屋選手(ドリキン)の姿も有った。
 まだ新カテゴリーの為参加台数が少ないレースだが
 キラリ輝いていた。なんと恰好がイイ まさに
 「レースをする為に生まれた車」だ!

 その後レースを1コーナーで観戦した。迫力ある
 4AGサウンドの虜になってしまった事は言うまでもない。

 そんなある日の事 富士レース村に遊びに行った際
 ガレージ(Iさん)の駐車場でレース仕様のトレノを見つけた。
 詳しく伺ってみると、遊び用にトムスの関●さんと共有している
 との事だ。 乗ってみたいの一心でテスト走行を直訴する。
 その場で何とか受諾して頂いたが、但し既定のラップタイムを
 クリアしなければダメ!!という条件つきであった。

 後日スポーツ走行の機会を得て、不安ながらも
 挑戦が始まった。これまでのKPとは全く違う世界で
 感動と恐怖が交錯する。不安を抱えながらも約束の
 ラップタイムを2秒近くも切る事が出来 これで
 レンタルの権利を得られた。
◆デビュー 1986年その@
 レンタルトレノで夢のAE86レースに参戦。
 KPクラスでは常に上位グループに上ってきたタイミングでの
 86クラス参戦だったので、勢いそのままに優勝目指して
 怖さ知らずにデビュー。
 予選終了、何と10位のポジションを得た

 しかし86クラスはそんなに容易いカテゴリーでは無かった。
 デビュー戦で早速洗礼を受ける事となり、富士100Rでの
 大クラッシュ、煮え湯を飲まされる厳しいスタートとなった。

 この時代は土屋選手を始め黒澤、木下、新田選手など以後の
 日本モータースポーツ界を代表する面々が犇めく群雄割拠の
 真っ只中だった。
◆起動 1986年そのA
 立ち上がる為には先ずはレンタルトレノの修理、返却だ。
 全損の為ボディ入替え、パーツ全交換を行う事になった。
 これでトレノ所有関係者の皆様には納得していただき
 最初の難問はクリアした。

★関係者の皆様へ
 その節は本当にご迷惑をお掛け致しました。
 このチャンスを頂いた事で人生が大きく変わりました。
 改めてお礼申し上げます★

さてこれからが目的のAE86へステップアップする為の本題
 1.車両手配 事故車>既に多くの86が解体屋さんに入って
  いたので 程度の良い物を選ぶ
 2.修理工場 これまでもお世話になっていた鈑金屋さんに
  相談、格安で引き受けてくれる事に
 3.車両作成 色々なショップさんに出かけ情報収集し、レーシング  パーツなどを注文
 4.運転技術など 近隣のショップ、レースチームを訪ね 諸先輩方  々よりご教授頂く

◆試練 1986年そのB
自信喪失、挫折を味わいながら試行錯誤の日々が続く。

レース仲間やショップさんからいろんなアドバイスや励まし、サポートを受けながら、参戦を続けた。

レースでの結果こそ出せないが 内容が良くなっている
少しづつだが、確実に速くなってきた。
もちろん同時に車製作の技術も上がって来ているのも好効果。

練習/練習の日々が続く

「富士LDの前座パルサーレース」参戦
突然のドライバー変更にて「中●パルサー」に乗れるチャンスを
頂いた。 初めてのFF車だったが、なんと、、「優勝」して
しまった。この事がその後のレース人生を大きく変えた。

  

◆開花 1987年
その時がきた! 
 参戦2年目にしてやっとその労が報われる時が! 
 ついに初優勝!! 
 それは第3戦4月の雨天レースでやって来た。
>先輩の助言「ハンドルを軽く持ち、とシートにかかる
 横Gセンサーを頼り」に スピンしない、抜かれない
 走りに集中し走り切った! 結果がお立ち台!!

 これを皮切りに以後は快進撃を続け、この年のトヨタAE86
 シリーズでは総合2位を得るまでとなりトヨタ賞を
 受賞する事が出来た。

 このときに習得した技術、精神力などの経験が弊社の
 [ハチロク製作]の基盤となっている事は言うまでもない。

▼中古車販売店としての歩み
◆1990年 群馬県藤岡市
◆1993年 群馬県高崎市に移転
◆1995年〜 AE86専門店として分離
◆1999年 この頃から AE86の上物(無事故)が
     入庫しづらくなり徐々に撤退を意識するようになった
◆2000年 工場移転
◆2003年〜 実写版映画「頭文字D」の劇用車製作依頼

 当時はまだ認知度の低いハチロク。しかもレビン3ドアが主流の中 突如トレノを使った実写映画製作の話が舞い込んだ。
 「車体手配から改造、メンテまで全てを弊社で行なうのなら」と
 条件付きで受諾した。

★以下製作車
 ・AE863台、AE85(AT)1台 ※内2台は撮影中に全損となる。
 ・ランサーEVO3 2台
 ・ランサーEVO4
 ・スカイライン 32GTR
 ・RX7 FC3S ・RX7 FD3S
 ・シルビアS13 Q'S
 ・その他劇用車4台
都合15台の劇用車を製作し、すべての車両が過激なスタント
シーンをこなし予定通りクランクアップできたことは、
弊社の技術力を証明する格好の機会となった。
>衰退期 2004年〜
 AE86の車体の老朽化が進み程度のいい個体が少なくなってきた
 と同時に、漫画、映画の影響を受け価格の高騰が始まった。
 特に3ドアトレノは人気高騰に合わせて、にわか専門店が
 乱立し粗悪車が多く流通するようになった
 これら諸般の状況から AE86専門店としての事業を
 縮小する事とした。
 >2005〜  
 ◆展示会、広告など  
>L&Tマガジン出稿多数回
>雑誌など出稿多数  
>2010年 フジTV 劇用車製作
>2011年 汽車画報 取材
>2013年 ジャパンアミューズメントエキスポ2013
         出展  (幕張メッセ)

>〜現在
 ハチロクの現況 経年劣化による車質低下が免れないが 今一度再興、維持を願うオーナーの為、
 細々とOPENしている。レストア、レストア、修理など受注しますが納期を要するため、急ぎの方や、
 違法改造車はお断りしている。 基本ノーマル車両についてのみお受け致します。

 このような、こだわりのお店ですが、良かったらお尋ねください。(^人^)


DEMO CAR
COROLLA LEVIN
1.5 GL-LIME AE85改
■カローラレビン
1.5GL Lime
1983年
AE85改 20VALVE
走行:33,000Km
★詳細 ・SOUND

FACTORY             ★スクロール↓

◆エンジン不調
 足回り異音

>タイベル切れ
>ショック抜け
2022
◆リアゲート交換
 

>FRP
 リアゲート
 リアスポイラー
◆ステアリング交換

>1.5GL用(純正品)
◆プラグ交換

>BKR6EIX-11P

◆ドアキャッチ修理
左ドアが閉まりにくい

>キャッチ交換 中古品

◆O2センサー取付け

延長ケーブル購入
\9,800-

◆パワステプーリー修理
ベアリング交換

NSK6908VV
\2,200-

◆EXマニ交換
 
アネックス \114,400-
AE86 4AG20バルブ用
 [排気音]


レストアroom


◆PARTS

◆レストア過去

トレノ 3ドア 61年

◆修理は・・推理


アーカイブ  Cosmo speed


フジTV撮影


●汽車画報

榛名


●幕張メッセ

展示会


・峠三昧撮影 PV

碓氷峠


・峠三昧撮影 PV

榛名湖 赤城山


・頭文字D映画

 劇用車製作


●L&Tマガジン
撮影 お台場


・展示場風景 2000年
高崎インター店

20バルブ換装

●L&Tマガジン
撮影 箱根


・富士フレッシュマンレース
AE86クラス

・9時間耐久レース
筑波サーキット

1990年
・群馬藤岡店

1997年
・高崎インター店